
というわけで今回は、アニポケが休みの代わりの記事として、今日からリバイバル上映の「七夜の願い星 ジラーチ」の感想を書いていきたいと思います。
それでは続きから感想です!
劇場版第6作「七夜の願い星 ジラーチ」
脚本:園田英樹/絵コンテ:湯山邦彦,辻初樹,樋口真嗣/演出:村田和也,深沢幸司,須藤典彦,浅田裕二/作画監督:松原徳弘,松本卓也,井ノ上ユウ子,他3名
「願い」とは正しく「思う」という事…歪んでしまった象徴のメタ・グラードンを持ち込む事でそれが明確に現れていた映画だったと思います。
というわけで本格的に見るのはこれが初めてレベルで目に焼き付けてきましたが、「水の都」の雰囲気重視の空気をそのまま引き継いで別の形に昇華して見せた映画だったと思います。
とはいっても移動遊園地での描写は2日目までで後はファウンスに行くまでの自然という固定の場所というわけではないですが、ジラーチが千年彗星のエネルギーを使って作り出していったファウンスの存在があったからこそ、マグマ団を見返してやるという欲に取り憑かれたバトラーの悪辣さを際立たせていたと思います。
そういう意味でこの映画は本当に小道具を使うのが上手いなと思っていまして。最初の移動遊園地が作られていく過程でワクワク感を演出して、お菓子の大量さを持ってくる事でジラーチの瞬間移動能力の高さを見せて、ウィッシュメーカーと千年彗星を組み合わせる事で願いの綺麗さを示したり、と物に関わっていく事でその力や自然等の尊さを示していく正に絵で見せる力がすごく良く出ているというわけです。
ジラーチが目覚める前の千年彗星を眺めるサトシ達の一枚絵だけで絵葉書が作れるレベルのレイアウトの秀逸さでしたし。
この辺りは後年になっていくにつれて演出において助長な部分が出てきたりするのですが(結構前にはなりますが「アルセウス」の自然再生シーンは結構長かったですね…)、この映画に関しては絵の説得力がそのままストーリーの説得力に繋がっていたと思います。
何せこの映画は園田さんが単独で脚本を書き始めてからまだ3作目故に金属疲労もまだですからね。この辺りは上手くオリジナリティで組み込めたでしょう。
その要素というのが願いは「思い」という事ですね。
最初のうちは(知ってはいたものの)ジラーチが叶えたマサトの「お菓子をいっぱい食べたい」を瞬間移動で移動遊園地から持ってきたり、ある種ファウンスの「願い」である彗星エネルギーを得る為のジラーチの真実の目を無理矢理禍々しいメカでこじ開けようとしたりと、結構現実的かつ夢も希望もないなと思ったものですが、
メタ・グラードンを最後ふっ飛ばす際のジラーチの「はめつのねがい」に近いあの笑顔を見ていたらバトラーのダイアンへの思い、ファウンスを守る思い全部ひっくるめたらここまでの笑顔と思いになるんだな…と感慨深くなってましたね。
正直、仕方ないんですがマサトとジラーチの絡みに関しては結構月並みの描写でそこに色味はあまり感じなかったんですけど、サトシの「星にとっては千年は一瞬でも、今一緒にいるこの時は〜」の言葉やバトラーのダイアンの関係性を見ていると、テーマ性は一切ブレてなかったなと思うんです。
個人的にダイアンがここまで重要なキャラだったのが意外でして、ダイアンはグラードン復活に取り憑かれる前のバトラーの姿を愛した存在だったんですね。
最初は幼馴染のダイアンを驚かせたくてマジックなりしていたのが、いつの間にか研究者となり、グラードン復活に失敗してマグマ団から罵られ、いつしかマグマ団にある種復讐する「欲」にかられてしまった…その全てを見てきたからこそ、ダイアンはバトラーを止めたかったと思いますし、バトラーはその原点が自分の中でまだ延長線上にあると思っているからダイアンの気持ちを理解しようとしない…このすれ違いがかなり秀逸に描かれていたと思うんです。
だからこそそんな欲に駆られた者が得たものは自然の根源のグラードンなんかではなく全てを吸い取っていくメタ・グラードンだったわけですし、人間で1番最初に呑み込まれたのがバトラーを守ろうとしたダイアンだったのは自明の理だったと思いますね。
自分の欲のままに動いた結果、物凄く近くにいた1番大事なものを失う…正に「願い」とは真逆な事ですし、その事がバトラーを真に改心させたのはロジックとしては素晴らしかったと思います。
「ダイアンを助けたいんだ!」という言葉をジラーチが信じたのもそうですね。そこからのエネルギー逆流は正に元に戻す事のメタファーだったと思いますね。
なのであのメタ・グラードンというのは良くジブリ映画に例えられますけど、今回の映画で樋口さんがコンテで入っているように、ゴジラモチーフなのが正解だと思いますよ。ゴジラも水爆実験という人間の欲が生み出した代償とも言えるので。
その中で最後ジラーチがメタ・グラードンをふっ飛ばした後にファウンスが元通りになる道筋が見えた演出は、そこからの再生を示していたと思うわけです。
そんな思いと願いの話でしたが、思ったよりも過酷かつコンパクトな話になっていて、取り敢えずの最後の同時上映付き映画としてまとまりは良かったと思いますね。
何せ3日目から4日間はファウンスに向かうまでの道中で、その中での僅かな安らぎの時間をマサトとジラーチが送っていたわけですから。それを見守ってきたマサトの「兄」のサトシがフライゴンと共に助けてくれるという、ある種現実的な解決方法も上手い事主人公を埋没させない園田さんらしさが出ていたとは思います。(ただ最後のレバーはサトシじゃなくてマサトに引いてもらいたかったですけど…)
ハルカもマサトとジラーチに振り回されながらも姉として動いていたと思いますし。
そしてなんと言っても「小さきもの」ですね。劇中ではハルカ達のママが歌ってくれた子守唄として登場し、最後にジラーチが眠る時の子守唄になったこの曲ですが、やはり最後にエンドクレジットで映画館の大音響で流れた時には鳥肌がたちましたね。
(他にも良い所は沢山ありましたが)ぶっちゃけ、この曲をエンディングで聴けただけでジラーチの映画のリバイバル上映は価値があると言えるレベルだったと思います。
勿論恒例のタイトルコールもシンプルな映像ながら非常に格好良かったですし、リマスター等は特にされていなくても当時の空気感を肌で感じるには十分な体験となりました。
いやまあ、イヤホンで聴くよりも全然インパクトがあったという話ですね、はい。
この「小さきもの」の効果的な使い方は、個人的に「ルギア爆誕」で果たせなかった「はてしない世界」のリベンジをここで持ってこれたという解釈もできるので、そういう意味でも感慨深くなりました。
と、いうわけで以上で「七夜の願い星 ジラーチ」の感想を終わりたいと思います。貴重な体験をありがとうございました!
脚本:園田英樹/絵コンテ:湯山邦彦,辻初樹,樋口真嗣/演出:村田和也,深沢幸司,須藤典彦,浅田裕二/作画監督:松原徳弘,松本卓也,井ノ上ユウ子,他3名
「願い」とは正しく「思う」という事…歪んでしまった象徴のメタ・グラードンを持ち込む事でそれが明確に現れていた映画だったと思います。
というわけで本格的に見るのはこれが初めてレベルで目に焼き付けてきましたが、「水の都」の雰囲気重視の空気をそのまま引き継いで別の形に昇華して見せた映画だったと思います。
とはいっても移動遊園地での描写は2日目までで後はファウンスに行くまでの自然という固定の場所というわけではないですが、ジラーチが千年彗星のエネルギーを使って作り出していったファウンスの存在があったからこそ、マグマ団を見返してやるという欲に取り憑かれたバトラーの悪辣さを際立たせていたと思います。
そういう意味でこの映画は本当に小道具を使うのが上手いなと思っていまして。最初の移動遊園地が作られていく過程でワクワク感を演出して、お菓子の大量さを持ってくる事でジラーチの瞬間移動能力の高さを見せて、ウィッシュメーカーと千年彗星を組み合わせる事で願いの綺麗さを示したり、と物に関わっていく事でその力や自然等の尊さを示していく正に絵で見せる力がすごく良く出ているというわけです。
ジラーチが目覚める前の千年彗星を眺めるサトシ達の一枚絵だけで絵葉書が作れるレベルのレイアウトの秀逸さでしたし。
この辺りは後年になっていくにつれて演出において助長な部分が出てきたりするのですが(結構前にはなりますが「アルセウス」の自然再生シーンは結構長かったですね…)、この映画に関しては絵の説得力がそのままストーリーの説得力に繋がっていたと思います。
何せこの映画は園田さんが単独で脚本を書き始めてからまだ3作目故に金属疲労もまだですからね。この辺りは上手くオリジナリティで組み込めたでしょう。
その要素というのが願いは「思い」という事ですね。
最初のうちは(知ってはいたものの)ジラーチが叶えたマサトの「お菓子をいっぱい食べたい」を瞬間移動で移動遊園地から持ってきたり、ある種ファウンスの「願い」である彗星エネルギーを得る為のジラーチの真実の目を無理矢理禍々しいメカでこじ開けようとしたりと、結構現実的かつ夢も希望もないなと思ったものですが、
メタ・グラードンを最後ふっ飛ばす際のジラーチの「はめつのねがい」に近いあの笑顔を見ていたらバトラーのダイアンへの思い、ファウンスを守る思い全部ひっくるめたらここまでの笑顔と思いになるんだな…と感慨深くなってましたね。
正直、仕方ないんですがマサトとジラーチの絡みに関しては結構月並みの描写でそこに色味はあまり感じなかったんですけど、サトシの「星にとっては千年は一瞬でも、今一緒にいるこの時は〜」の言葉やバトラーのダイアンの関係性を見ていると、テーマ性は一切ブレてなかったなと思うんです。
個人的にダイアンがここまで重要なキャラだったのが意外でして、ダイアンはグラードン復活に取り憑かれる前のバトラーの姿を愛した存在だったんですね。
最初は幼馴染のダイアンを驚かせたくてマジックなりしていたのが、いつの間にか研究者となり、グラードン復活に失敗してマグマ団から罵られ、いつしかマグマ団にある種復讐する「欲」にかられてしまった…その全てを見てきたからこそ、ダイアンはバトラーを止めたかったと思いますし、バトラーはその原点が自分の中でまだ延長線上にあると思っているからダイアンの気持ちを理解しようとしない…このすれ違いがかなり秀逸に描かれていたと思うんです。
だからこそそんな欲に駆られた者が得たものは自然の根源のグラードンなんかではなく全てを吸い取っていくメタ・グラードンだったわけですし、人間で1番最初に呑み込まれたのがバトラーを守ろうとしたダイアンだったのは自明の理だったと思いますね。
自分の欲のままに動いた結果、物凄く近くにいた1番大事なものを失う…正に「願い」とは真逆な事ですし、その事がバトラーを真に改心させたのはロジックとしては素晴らしかったと思います。
「ダイアンを助けたいんだ!」という言葉をジラーチが信じたのもそうですね。そこからのエネルギー逆流は正に元に戻す事のメタファーだったと思いますね。
なのであのメタ・グラードンというのは良くジブリ映画に例えられますけど、今回の映画で樋口さんがコンテで入っているように、ゴジラモチーフなのが正解だと思いますよ。ゴジラも水爆実験という人間の欲が生み出した代償とも言えるので。
その中で最後ジラーチがメタ・グラードンをふっ飛ばした後にファウンスが元通りになる道筋が見えた演出は、そこからの再生を示していたと思うわけです。
そんな思いと願いの話でしたが、思ったよりも過酷かつコンパクトな話になっていて、取り敢えずの最後の同時上映付き映画としてまとまりは良かったと思いますね。
何せ3日目から4日間はファウンスに向かうまでの道中で、その中での僅かな安らぎの時間をマサトとジラーチが送っていたわけですから。それを見守ってきたマサトの「兄」のサトシがフライゴンと共に助けてくれるという、ある種現実的な解決方法も上手い事主人公を埋没させない園田さんらしさが出ていたとは思います。(ただ最後のレバーはサトシじゃなくてマサトに引いてもらいたかったですけど…)
ハルカもマサトとジラーチに振り回されながらも姉として動いていたと思いますし。
そしてなんと言っても「小さきもの」ですね。劇中ではハルカ達のママが歌ってくれた子守唄として登場し、最後にジラーチが眠る時の子守唄になったこの曲ですが、やはり最後にエンドクレジットで映画館の大音響で流れた時には鳥肌がたちましたね。
(他にも良い所は沢山ありましたが)ぶっちゃけ、この曲をエンディングで聴けただけでジラーチの映画のリバイバル上映は価値があると言えるレベルだったと思います。
勿論恒例のタイトルコールもシンプルな映像ながら非常に格好良かったですし、リマスター等は特にされていなくても当時の空気感を肌で感じるには十分な体験となりました。
いやまあ、イヤホンで聴くよりも全然インパクトがあったという話ですね、はい。
この「小さきもの」の効果的な使い方は、個人的に「ルギア爆誕」で果たせなかった「はてしない世界」のリベンジをここで持ってこれたという解釈もできるので、そういう意味でも感慨深くなりました。
と、いうわけで以上で「七夜の願い星 ジラーチ」の感想を終わりたいと思います。貴重な体験をありがとうございました!

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