さて、今回は海モモの感想メモを載せていきたいと思いますが、最終回に入る前に本放送では放送されないながらも、後に未公開話として放送された話群の感想メモを先に載せていきたいと思います。

それでは続きからどうぞ。

第63話「SOS! マリンナーサ」
脚本:北条千夏/絵コンテ,演出:わたなべひろし/作画監督:とみながまり

一時期のモモのマリンナーサ帰還回は、現実の戦争が大好きなボトム大佐がマリンナーサに紛れ込んだ事から始まっていきました。

まあ一言で言えばかなりイカれた話でして…マリンナーサにいる為の夢を見出したら陸海空で戦争をしている夢が具現化して、構わず撃つものだからマリンナーサが荒れたい放題になる危機に直面するという…
しかもそれでいてモモによって撃ち落とされて玉砕されても尚夢の国故生き残っていると、「夢なんかいらない」と地上での本物の戦争を求める有様ですから、「夢を持ちながら夢なんていらないと叫ぶ」なんて本当にいるもんだな…と呆れてしまった話となりました。
多分ボトム大佐のいう「戦争」はちゃんと相手がいて、相手が死んで自分も死ぬ、みたいな、シュミレーションではなくガチの危機が迫っているものなんでしょうね。そんな物を望まれたら洒落にならないですけど、武器を撃ちまくって快感を覚えている様なヤツに何を言っても無駄なんでしょうね。
ただそんな「夢なんていらない」というスタンスゆえ、マリンナーサから現実の世界に簡単に帰れてしまう有様は、モモとしては有難くも複雑な気持ちにさせてくれる場面だったと思います。

プラスで敵からの現実の攻撃に潜水艇が粉々になっても前向きに戦争を追い求めるんですから、まあどうにでもなってくれよ…とは思いました。(海に放り出されたモモの立場とは…)
マリンナーサの描写としてはフェナリナーサと同じで御伽噺のキャラが登場+2話の公園の妖精が再登場という感じでしたね。(海には人魚姫の親子の姿も)そんなモモ達も割とノリノリでボトム大佐と戦争を繰り広げてる分は、そちらはシュミレーションだからこそのお気楽さだった気はします。
そのくらいやらないとこの話どこまでも暗くできますからね。代わりにこのイカれ具合だったのは北条さんの持ち味が出た所ではあったと思います。


第64話「モモ学校に行く」
脚本:面出明美,首藤剛志/絵コンテ,演出:藤本義孝/作画監督:林委千夫

学校なんかいらないと、コンピューターで全てを決めようとする学校に反抗する落ちこぼれのお話。

といっても流石に1話で全てを描くには難しすぎたのかガワをなぞった様な話にはなってましたね。(故に面出さんの脚本回ですが殆ど首藤さんに修正でしょうね)落ちこぼれはモモ含めて5人いて、それぞれの悪い点を詳細に示すには時間が足りなかった印象です。
ただこの話の主題は「人から決められる未来よりも自分の力で未来を」という事なので、コンピューターが勝手に落ちこぼれと断定して勝手に悲惨な未来を予想したことに反抗した、と考えるとバックボーン自体は薄くても良かったかもしれません。

モモが先生になって行った授業は生徒の自由を程よく与えてテニスや化学の授業をして、生徒の良さを引き出していた事もそうですね。先生に反抗する、テストであがってしまう、人と話すのが苦手で夢見がちな子等々、決してその子を否定せずに入っていったという事なので。
まあコンピューターも「問題を起こさせれば退学」とか抜かしている欠陥品でしたし、名門校に落ちこぼれが出てきては名声が下がってお金が入らないから排除する、という理由で落ちこぼれを隔離している先生達もダメではあったので、反抗して爆発されても仕方はなかったかと。

そういう結構極端な話ではあったものの、落ちこぼれ5人目であるモモの未来がコンピューターでも明かされなかった事、50年後の想像でモモの存在がなかった事を考えると、最終盤に相応しい話にはなっていたと思います。
余談ですけど、学校の縛られてる感はどうしても「ポケモンひっしょうマニュアル」を思い出しますし、テストであがってしまう落ちこぼれの子の声が真柴さんだったので天カスの風間君と被る物を感じてしまいました。


第65話「星に願いを」
脚本,絵コンテ:湯山邦彦/演出:阿部雅司/作画監督:松本勝次

何故この回が本放送で流されなかったのか、と思った、30周年周期でやってくるヒラー流星群を家族でまたみんなで見れた、正に「星に願いを」というタイトルに相応しいお話。
湯山監督が脚本だけでなくコンテまで務めている豪華作品で、ノコッタインの元持ち主の女性、マギーが彗星を見た翌年に夫のピエールを亡くし、都会に移り住んだ後に子供3人(ディビット、トーマス、キャサリン)が散り散りになってしまい、自分の中の季節が止まってしまっていた事を思い出させる儚さの描写が光っていたと思います。

だからこそモモが動き回ったおかげで3人がノコッタインに集まり、スターライト達ノコッタパークにて実体を残さないながらも存在し続ける妖精が、モモの空を晴れさせる魔法を手助けしてのハッピーエンドが光った訳でして。特に彗星が来る翌日に妖精のいない森を歩いているうちに雨に濡れてしまったマギーをモモが傘を指すシーンは、正にこの後の彗星を家族と共に迎える手助けの象徴になっていたと思います。
その散り散りになり方も、トーマスはカメラマンを志望していて夢を追いかけていたので約束は覚えていましたが、キャサリンが駆け落ち、ディビットは仕事が忙しくてフェードアウトとかなり現実的ではあったので、キャサリンは孫のジュディが積極的故説得してくれましたし、ディビットは仕事の場所をノコッタインにしてくれた事で約束を果たせましたから、きっちりそこで理由づけがあって奇跡が起こったのも良かったです。

家族が集まって夢が見れたからこそスターライト達妖精をマギーはまた見る事ができたという構図も、スターライト達の姿は見えないけど確かにいる事の証明になっていたと思いますね。
そんなスターライト達まで出てきた回(しかもノコッタインの前任者まで登場)なのに何で本放送がされなかったのかは疑問ではあるのですが…綺麗に約束が果たせたのは良かったと思います。
ピエールも星の奇跡で一晩だけ蘇りましたからね。マギーのこれまでを考えたらここまでしても良いと思えるバランスだったと思います。