さて、今回はトッキュウジャーの感想メモを載せていきたいと思います。
それでは続きからどうぞ。
それでは続きからどうぞ。
第40話「誰があいつで あいつが誰で」
脚本:小林靖子/監督:竹本昇
グリッタ嬢がゼットの中に居続けるわけがシュバルツ将軍を助ける事になるという話を聞くと、どれだけゼットの闇の力が周りを侵食するのかという話になってきてるが…
しかしここにきてドラマの交差が凄い事になってるな…ゼットが闇の力が弱まってる事によってレインボーラインに居られるようになっただけでなく、普通にフリーダムで変身できる6号にもなり切る事ができるようになったし(この6号の変装の使い方がキャラ設定の使い方の上手さを物語っていたと思う)、
キラキラが強まってる分グリッタ嬢が表に出て影になる時間も増えてきた。
明はシュバルツ将軍にはゼット目的でついていくからトッキュウジャーとは争わないから良いじゃ無いか、と本気で思いながらも内心辛いけれども自覚なし、トッキュウジャーも明が抜けた事で悲しんでいるとも思っていない(ここで「(トカッチの言う)「仲間」がよく分からん」発言が効いてくるとは…)となっている。
ノア夫人はゼットに思惑を知られて投げ出されてシュバルツ将軍と明に協力を仰いでいる。
とまあ人物周りだけ見るとこんな感じだけれども、よくまあこれだけの軸を困惑させる事なく進める事ができるよな靖子さんも…
明の場合はトッキュウジャーの5人が寄り添わずにはスルーしていた変さはあったけれども、感情が理解に追いついていない部分があるからこその5人との対峙と考えると納得できるところではあった。
でもシュバルツ将軍に関してはグリッタ嬢からの忠告(ゼットとグリッタ嬢を切り離してはいけない)を聞く事なく有耶無耶になったから、グリッタ嬢を助けて死んでいくんだろうな…と思うと折角キラキラが出たのに勿体無いな…という気すらしてくる。まあ明を利用した時点であまり褒められた戦略では無いけれども。(ザラムと明、そして6号と使い分ける事でゼットにクーデターを起こすやり方は流石は将軍という頭の使い方だったが)
そしてモルク侯爵とネロ男爵に関しては闇の力が完全に落ちているのを恐れて動いていて、こちらは純粋な悪という感じで分かりやすくて逆に好感が持てるという謎現象が起こっていた。ハイパーレッシャテイオーには敵ってなかったし。
というわけでゼットがいなくなった事で闇減りがピークに達し、地上に浮かび上がったシャドーラインの本拠地であるキャッスルターミナルが昴ヶ浜でした、となったけれども、ではその前の本拠地は一体どこにあったのか?何故昴ヶ浜をキャッスルターミナルに選んだのか?についてはまだまだ明かされていないので、そこは次回以降で明かされるのを待つしか無いかな。
さて次回でこの時点での年越し前最後のクリスマス決戦という事で、カーレンジャー並みの暖かいクリスマスを見たいものだが…
第41話「クリスマス大決戦」
脚本:小林靖子/監督:竹本昇
闇を求められてグリッタを手放されたゼットと、グリッタを奪還できてキラキラを得たまま死んでいったノア夫人とシュバルツ将軍…どこまでゼットは不幸になっていくんだろうな…
キラキラを手に入れるではなく吸い寄せられているようにモルク侯爵から見えたのは、自分が手に入れられないと思っているから。そしてこの複雑なドラマの組み合わせが一本筋が通っていたのは、トッキュウジャー以外全員「グリッタ嬢奪還」に動いていたからというのは、ゼットとグリッタ嬢以外を幸せにするすごく皮肉なメカニズムになっていたと思う。
結果としてゼットの闇の皇帝としての力が蘇ってネロ男爵とモルク侯爵は大喜び(キャッスルターミナルも闇に沈む事ができた)、ノア夫人はグリッタ嬢を奪還できて喜びのまま死んでいき(劇中で縫っていた布は魂を救う為の物だったと)、シュバルツ将軍もグリッタ嬢を助け、クライナーに乗せて救うことができた事の喜びで、「キラキラを手に入れられた」とゼットに少しの仕返しもできて死んでいったと。
2人とも「キラキラの中での満足な死」なので側から見たら凄くあっさりとした死に方に見えても、ゼットには凄く堪える、という凄い見せ方だったなと感じた。
そんな死を見たからこそ、明が生き残ってくれた事の5人の安堵と、悲しみと本音をぶつけるシーンが活きていたと思う。
そもそもこの5人に関しては「小学生」としてここまでずっと演技し続けてきたので、その時点で物凄い事なのだが、このシーンはそれこそ本当に子供の頃の5人の姿が見えるレベルで「子供としての本音」が表現されていて、それは明も寂しさを理解するに至るよな…という凄い説得力に繋がっていたと思う。
そこからはクライナーロボ相手にロボのまま名乗りをし、歴代の合体ロボから今のトッキュウレインボーに至るまで歴史を紡いでいきながらクライナーロボを倒して行った様は、正に6人で紡いできた過程を熱い形で総ざらいしたようでオープニング曲も相まって良くできた締めだったと思う。
クリスマスも明るさもありながら少しレクイエムじみた空気感もロウソクで作っていて、このバランス感覚が絶妙な染み入るような描写だったと思う。
それと比べての結局手に入るのは闇だけなゼット…この辺りはどう決着つけるのだろうか?
第42話「君に届く言葉」
脚本:小林靖子/監督:加藤弘之
総集編も兼ねたキャッスルターミナルへの手紙を届ける様…そのキラキラをゼットはどう見ていたのだろうか?
ゼットの闇がそのままライトと連動していたのは、一回ライトを取り込もうとしていたことが影響しているのか、元々繋がりがあったのか…この辺りはゼットがシャドーラインの中で明と同じく人間態を持っている事と関係があるだろうか。
というか折角の年末(この回の放送は12月28日)なのにこんなにも気持ちをどんよりさせてくるのは靖子さんも中々のシリアス魔で…
でもこの暗さを手紙と伊勢さんの歌で変える事でちゃんとイマジネーションから逸脱しないようにしていたのは、32話からの33話の流れを踏襲していて、その辺りはドラマの作り方が上手いなと思った。
同時にトカッチとミオの関係性も思いっきり進展させると…自分の気持ちを遠慮するのではなく自分の気持ちを強く持つ事で他人の為に動いても大丈夫になるのは、それ即ち愛というのは良い解釈だなと。
ミオのお父さんが具無しながらも普段お弁当を作ってくれるミオのために大きいおにぎりを作ってくれるのは、それもまた不器用ながら愛の形となるので、トカッチは実質ミオのお父さんだった…?となる辺りは面白い。こういうウブな恋愛はいい物だなと(またラブコメ厨が…)
そして手紙を通じてトッキュウジャーとしての日々とメカについても触れつつ、レンケツバズーカで手紙を届ける様は、正に見てなかったとしても「届いた」と感じさせてくれる描写だったと思う。
それをただ眺めるばかりのゼット…ゼットにとっての「キラキラ」は一体なんだったのかは気になる所。そこにキャッスルターミナルが昴ヶ浜にできた事の理由にも繋がるはずなので。
脚本:小林靖子/監督:竹本昇
グリッタ嬢がゼットの中に居続けるわけがシュバルツ将軍を助ける事になるという話を聞くと、どれだけゼットの闇の力が周りを侵食するのかという話になってきてるが…
しかしここにきてドラマの交差が凄い事になってるな…ゼットが闇の力が弱まってる事によってレインボーラインに居られるようになっただけでなく、普通にフリーダムで変身できる6号にもなり切る事ができるようになったし(この6号の変装の使い方がキャラ設定の使い方の上手さを物語っていたと思う)、
キラキラが強まってる分グリッタ嬢が表に出て影になる時間も増えてきた。
明はシュバルツ将軍にはゼット目的でついていくからトッキュウジャーとは争わないから良いじゃ無いか、と本気で思いながらも内心辛いけれども自覚なし、トッキュウジャーも明が抜けた事で悲しんでいるとも思っていない(ここで「(トカッチの言う)「仲間」がよく分からん」発言が効いてくるとは…)となっている。
ノア夫人はゼットに思惑を知られて投げ出されてシュバルツ将軍と明に協力を仰いでいる。
とまあ人物周りだけ見るとこんな感じだけれども、よくまあこれだけの軸を困惑させる事なく進める事ができるよな靖子さんも…
明の場合はトッキュウジャーの5人が寄り添わずにはスルーしていた変さはあったけれども、感情が理解に追いついていない部分があるからこその5人との対峙と考えると納得できるところではあった。
でもシュバルツ将軍に関してはグリッタ嬢からの忠告(ゼットとグリッタ嬢を切り離してはいけない)を聞く事なく有耶無耶になったから、グリッタ嬢を助けて死んでいくんだろうな…と思うと折角キラキラが出たのに勿体無いな…という気すらしてくる。まあ明を利用した時点であまり褒められた戦略では無いけれども。(ザラムと明、そして6号と使い分ける事でゼットにクーデターを起こすやり方は流石は将軍という頭の使い方だったが)
そしてモルク侯爵とネロ男爵に関しては闇の力が完全に落ちているのを恐れて動いていて、こちらは純粋な悪という感じで分かりやすくて逆に好感が持てるという謎現象が起こっていた。ハイパーレッシャテイオーには敵ってなかったし。
というわけでゼットがいなくなった事で闇減りがピークに達し、地上に浮かび上がったシャドーラインの本拠地であるキャッスルターミナルが昴ヶ浜でした、となったけれども、ではその前の本拠地は一体どこにあったのか?何故昴ヶ浜をキャッスルターミナルに選んだのか?についてはまだまだ明かされていないので、そこは次回以降で明かされるのを待つしか無いかな。
さて次回でこの時点での年越し前最後のクリスマス決戦という事で、カーレンジャー並みの暖かいクリスマスを見たいものだが…
第41話「クリスマス大決戦」
脚本:小林靖子/監督:竹本昇
闇を求められてグリッタを手放されたゼットと、グリッタを奪還できてキラキラを得たまま死んでいったノア夫人とシュバルツ将軍…どこまでゼットは不幸になっていくんだろうな…
キラキラを手に入れるではなく吸い寄せられているようにモルク侯爵から見えたのは、自分が手に入れられないと思っているから。そしてこの複雑なドラマの組み合わせが一本筋が通っていたのは、トッキュウジャー以外全員「グリッタ嬢奪還」に動いていたからというのは、ゼットとグリッタ嬢以外を幸せにするすごく皮肉なメカニズムになっていたと思う。
結果としてゼットの闇の皇帝としての力が蘇ってネロ男爵とモルク侯爵は大喜び(キャッスルターミナルも闇に沈む事ができた)、ノア夫人はグリッタ嬢を奪還できて喜びのまま死んでいき(劇中で縫っていた布は魂を救う為の物だったと)、シュバルツ将軍もグリッタ嬢を助け、クライナーに乗せて救うことができた事の喜びで、「キラキラを手に入れられた」とゼットに少しの仕返しもできて死んでいったと。
2人とも「キラキラの中での満足な死」なので側から見たら凄くあっさりとした死に方に見えても、ゼットには凄く堪える、という凄い見せ方だったなと感じた。
そんな死を見たからこそ、明が生き残ってくれた事の5人の安堵と、悲しみと本音をぶつけるシーンが活きていたと思う。
そもそもこの5人に関しては「小学生」としてここまでずっと演技し続けてきたので、その時点で物凄い事なのだが、このシーンはそれこそ本当に子供の頃の5人の姿が見えるレベルで「子供としての本音」が表現されていて、それは明も寂しさを理解するに至るよな…という凄い説得力に繋がっていたと思う。
そこからはクライナーロボ相手にロボのまま名乗りをし、歴代の合体ロボから今のトッキュウレインボーに至るまで歴史を紡いでいきながらクライナーロボを倒して行った様は、正に6人で紡いできた過程を熱い形で総ざらいしたようでオープニング曲も相まって良くできた締めだったと思う。
クリスマスも明るさもありながら少しレクイエムじみた空気感もロウソクで作っていて、このバランス感覚が絶妙な染み入るような描写だったと思う。
それと比べての結局手に入るのは闇だけなゼット…この辺りはどう決着つけるのだろうか?
第42話「君に届く言葉」
脚本:小林靖子/監督:加藤弘之
総集編も兼ねたキャッスルターミナルへの手紙を届ける様…そのキラキラをゼットはどう見ていたのだろうか?
ゼットの闇がそのままライトと連動していたのは、一回ライトを取り込もうとしていたことが影響しているのか、元々繋がりがあったのか…この辺りはゼットがシャドーラインの中で明と同じく人間態を持っている事と関係があるだろうか。
というか折角の年末(この回の放送は12月28日)なのにこんなにも気持ちをどんよりさせてくるのは靖子さんも中々のシリアス魔で…
でもこの暗さを手紙と伊勢さんの歌で変える事でちゃんとイマジネーションから逸脱しないようにしていたのは、32話からの33話の流れを踏襲していて、その辺りはドラマの作り方が上手いなと思った。
同時にトカッチとミオの関係性も思いっきり進展させると…自分の気持ちを遠慮するのではなく自分の気持ちを強く持つ事で他人の為に動いても大丈夫になるのは、それ即ち愛というのは良い解釈だなと。
ミオのお父さんが具無しながらも普段お弁当を作ってくれるミオのために大きいおにぎりを作ってくれるのは、それもまた不器用ながら愛の形となるので、トカッチは実質ミオのお父さんだった…?となる辺りは面白い。こういうウブな恋愛はいい物だなと(またラブコメ厨が…)
そして手紙を通じてトッキュウジャーとしての日々とメカについても触れつつ、レンケツバズーカで手紙を届ける様は、正に見てなかったとしても「届いた」と感じさせてくれる描写だったと思う。
それをただ眺めるばかりのゼット…ゼットにとっての「キラキラ」は一体なんだったのかは気になる所。そこにキャッスルターミナルが昴ヶ浜にできた事の理由にも繋がるはずなので。

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