さて、「薫る花」のアニメ放送は終了しましたが、しれっと「アニメ、原作考察」と「感想記事」を区分けしましたので、原作の感想記事自体は作らないものの考察の方はちょくちょくやっていきたいと思います、よろしくお願いします。
そんなわけで今回は、以前アニメ最終回後のスペースでも話しました「薫る花」におけるキーワードを3つほどあげていきたいと思います。
それでは続きからどうぞ。
そんなわけで今回は、以前アニメ最終回後のスペースでも話しました「薫る花」におけるキーワードを3つほどあげていきたいと思います。
それでは続きからどうぞ。
というわけでそのキーワードであり、既に記事タイトルにもしている「言葉」「対話」「『知る』という事」について書いていきたいと思います。
まず「言葉」ですが、普通だったら言葉は時として相手を傷つける事もあるので気をつけよう、と「相手に対して影響を与えるもの」として認識される事が多いです。
ですが「薫る花」においては相手に対してはそうなのですが、それ以上に「良くも悪くも自分に「その言葉を発した責任」として重くのしかかるもの」の側面が大きいんですよ。
良い側面では凛太郎が思わず「好きです」と薫子に漏らした事に対して、「このままにしておけない」と薫子に再度告白の場を作ってもらう事にした事から分かりますね。
自分の言葉をなあなあにする事なく、責任を持ってそこを更にはっきりさせていくと。だからこそアニメ最終回の大団円に繋がったわけです。
そして悪い面については朔の言動が1番分かりやすいですね。昴に対しての「お気楽なもんだね、お嬢様って」に続く一連の発言を、朔は今に至るまでずっと十字架にして生きている節があります。
これは朔が全てにおいて激重感情を抱いている、というのもありますけど、基本「薫る花」のメインキャラは根からの悪がいないので、相手に対してネガティブな発言をすると、その事への罪悪感に苛まれるケースが多いんですよ。
それが朔の場合は顕著に現れて、昴に対してもいわゆる「without me」の気持ちになってしまうと。こればかりは三香見先生も言葉の重みを発した人物に与える意味で厳しいことをしているな、と思うわけです。
しかもこの「言葉」については自分の中で残っている分、相手が忘れていても消えることはないですからね。相当なものなのが分かると思います。
では、その「言葉」の責任を少しでも解消するにはどうすれば良いのか?については、2つ目のキーワード「対話」になってくるわけです。
言葉は相手が反応がしなければ一方的になってしまうので、その相手と対話をする事でお互いの気持ちを認識して、全肯定をする事はなくとも全否定の危機から逃れて擦り合わせる事ができると。
「薫る花」はここを凄く大事にしていて、アニメでは「大嫌い/大好き」の後の凛太郎と昴の対話、スポーツ大会後の合コンにも似た6人の公園での対話、最終回の夏祭り内での薫子と凛太郎の対話と、「対話」は「薫る花」においてはハイライトになっています。
特定の作品を出すわけではないですが、結構この対話をしない事ですれ違ってしまったりギクシャクしてしまう事がドラマとして使われるケースが多い中で、「薫る花」がこういう拗れ方がないのはこれが理由だったりするので、間違いなくキーワードと言って良いと思います。
この対話は、序盤ではとにかく謝罪の機会が多い事からも重要性は初期からあったと思っています。
子供の頃に「悪い事をしたら謝りましょう」と教わるものの、大人になればなるほど意固地になってそれができなくなる…そこを「薫る花」では対話を通じて潰している、というわけですね。
なので、現状の原作最新話でも塚田先生から「対話の場」の提案が出ていますが、時として対話をする事で向き合わなければいけない事がある、という事もまた事実なわけです。
それがあるから「薫る花」での優しい世界が保たれている、というのはありますしね。
そしてその「対話」の中で必ずする事になるのが「『知る』という事」になるわけですね。
これに関しては薫子が「私は知りたいと思った」と凛太郎に話していた事が、そのままキーワードになった形です。
これに関しては必ずしも良い事ばかりではなく悪い事を踏まえた上で、どう相手と向き合って「対話」をしていくかというのが大事になってくるわけです。
現状これが1番必要なのが桔梗の教師陣なのは、原作最新話を読んでいたら分かる話ではあります。
トラブルがあったのは事実で、千鳥側が悪い側面があるのもそうでしょう。それでもそれをやったのは「その時の千鳥の人間」であって「千鳥」ではない事を認識すべきなんですよ。
その中で別に今の千鳥が「荒れてない良い学校」という認識になる必要はなくて、薫子を取り巻く千鳥4人は少なくとも、桔梗に対して悪影響を与える人間ではない、と「知る事ができれば」それで十分なわけです。
だからこそ対話の中で凛太郎達の事を知る事が大事なわけです。
もっと厳しい事を言うと、これを蔑ろにしたからこそ現状の拗れが起きているので、奇しくも上に書いた3つのキーワード全てに当てはまってしまう土岐先生は相当罪な事をしてるなと思いますね。
ちなみに僕の土岐先生に対してのスタンスは、いくら過去に何があろうとも「言葉」が出てしまった、凛太郎と対話をしなかった、知ろうともしなかった時点で、自分がその事に苛まれたとしても別に文句は言えないでしょう?というかなりドライな形です。
これはコナンの容疑者に対してのスタンスと全く同じなので何とも…とは思いますけど、怒りというよりは、という感じですね。
というわけで「薫る花」における3つのキーワードについて書いていきました。
このキーワードを念頭に原作を読み進めると更に解像度が上がると思いますので、ぜひ試してみてください。
まず「言葉」ですが、普通だったら言葉は時として相手を傷つける事もあるので気をつけよう、と「相手に対して影響を与えるもの」として認識される事が多いです。
ですが「薫る花」においては相手に対してはそうなのですが、それ以上に「良くも悪くも自分に「その言葉を発した責任」として重くのしかかるもの」の側面が大きいんですよ。
良い側面では凛太郎が思わず「好きです」と薫子に漏らした事に対して、「このままにしておけない」と薫子に再度告白の場を作ってもらう事にした事から分かりますね。
自分の言葉をなあなあにする事なく、責任を持ってそこを更にはっきりさせていくと。だからこそアニメ最終回の大団円に繋がったわけです。
そして悪い面については朔の言動が1番分かりやすいですね。昴に対しての「お気楽なもんだね、お嬢様って」に続く一連の発言を、朔は今に至るまでずっと十字架にして生きている節があります。
これは朔が全てにおいて激重感情を抱いている、というのもありますけど、基本「薫る花」のメインキャラは根からの悪がいないので、相手に対してネガティブな発言をすると、その事への罪悪感に苛まれるケースが多いんですよ。
それが朔の場合は顕著に現れて、昴に対してもいわゆる「without me」の気持ちになってしまうと。こればかりは三香見先生も言葉の重みを発した人物に与える意味で厳しいことをしているな、と思うわけです。
しかもこの「言葉」については自分の中で残っている分、相手が忘れていても消えることはないですからね。相当なものなのが分かると思います。
では、その「言葉」の責任を少しでも解消するにはどうすれば良いのか?については、2つ目のキーワード「対話」になってくるわけです。
言葉は相手が反応がしなければ一方的になってしまうので、その相手と対話をする事でお互いの気持ちを認識して、全肯定をする事はなくとも全否定の危機から逃れて擦り合わせる事ができると。
「薫る花」はここを凄く大事にしていて、アニメでは「大嫌い/大好き」の後の凛太郎と昴の対話、スポーツ大会後の合コンにも似た6人の公園での対話、最終回の夏祭り内での薫子と凛太郎の対話と、「対話」は「薫る花」においてはハイライトになっています。
特定の作品を出すわけではないですが、結構この対話をしない事ですれ違ってしまったりギクシャクしてしまう事がドラマとして使われるケースが多い中で、「薫る花」がこういう拗れ方がないのはこれが理由だったりするので、間違いなくキーワードと言って良いと思います。
この対話は、序盤ではとにかく謝罪の機会が多い事からも重要性は初期からあったと思っています。
子供の頃に「悪い事をしたら謝りましょう」と教わるものの、大人になればなるほど意固地になってそれができなくなる…そこを「薫る花」では対話を通じて潰している、というわけですね。
なので、現状の原作最新話でも塚田先生から「対話の場」の提案が出ていますが、時として対話をする事で向き合わなければいけない事がある、という事もまた事実なわけです。
それがあるから「薫る花」での優しい世界が保たれている、というのはありますしね。
そしてその「対話」の中で必ずする事になるのが「『知る』という事」になるわけですね。
これに関しては薫子が「私は知りたいと思った」と凛太郎に話していた事が、そのままキーワードになった形です。
これに関しては必ずしも良い事ばかりではなく悪い事を踏まえた上で、どう相手と向き合って「対話」をしていくかというのが大事になってくるわけです。
現状これが1番必要なのが桔梗の教師陣なのは、原作最新話を読んでいたら分かる話ではあります。
トラブルがあったのは事実で、千鳥側が悪い側面があるのもそうでしょう。それでもそれをやったのは「その時の千鳥の人間」であって「千鳥」ではない事を認識すべきなんですよ。
その中で別に今の千鳥が「荒れてない良い学校」という認識になる必要はなくて、薫子を取り巻く千鳥4人は少なくとも、桔梗に対して悪影響を与える人間ではない、と「知る事ができれば」それで十分なわけです。
だからこそ対話の中で凛太郎達の事を知る事が大事なわけです。
もっと厳しい事を言うと、これを蔑ろにしたからこそ現状の拗れが起きているので、奇しくも上に書いた3つのキーワード全てに当てはまってしまう土岐先生は相当罪な事をしてるなと思いますね。
ちなみに僕の土岐先生に対してのスタンスは、いくら過去に何があろうとも「言葉」が出てしまった、凛太郎と対話をしなかった、知ろうともしなかった時点で、自分がその事に苛まれたとしても別に文句は言えないでしょう?というかなりドライな形です。
これはコナンの容疑者に対してのスタンスと全く同じなので何とも…とは思いますけど、怒りというよりは、という感じですね。
というわけで「薫る花」における3つのキーワードについて書いていきました。
このキーワードを念頭に原作を読み進めると更に解像度が上がると思いますので、ぜひ試してみてください。

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