さて先日、3時間超に渡る「薫る花」のスペースをTwitterにて行いました。
題材が2つしかないにもかかわらずこれだけ長い時間にはなってしまいましたが、聴いてくださった方々ありがとうございました。(中には後追いの録音を最後まで聴いてくださった方までいて…大変でしたでしょうにありがとうございます)

内容自体は相当な濃い物にはなりましたが、流石に「この内容を知りたかったら3時間超のスペースの録音を聴いてください」はキツイと思いますので、
今回、ここにてスペースの時に使った台本の方を公開したいと思います。
「土岐菖蒲編」の30話分全話振り返り&統括の台本だけで1万字オーバーの代物ですが、今回人に見せられるように多少の加筆修正をした上で、少しスペース内で話したアドリブも合わせて、台本から2000字弱増えて12000字近くのものに仕上がりました。(台本はあくまでスペースにて自分が段取り良くできるように作っただけなので、主語等の抜けも多かったんですよ)
そこに「「薫る花」の今後について」の台本も合わせて今回この記事にてまとめています。

なので物量的に見る時間はかかりますが、これを見れば大体網羅はできるかと思います。
是非とも原作を片手に振り返って頂けたらと思います。
というわけで続きからどうぞ。

1.「土岐菖蒲編」全話振り返りと統括

※鍵括弧太字で書かれているのが話のタイトルで、その隣がその話数のページ数となります。
通常連載のページ数は20P(ページ)となります。


「火花」20P
「楽しみにしてて!」の凛太郎のカットが、上がり始めた花火を端にして凛太郎を中心にしている所に、薫子が凛太郎しか見えていないのが分かる。それは凛太郎も同様。
花火真正面のカットが薫子からのキスシーンになっている様は、ここでは完全に2人の世界になっている。
だからこそ、土岐先生の乱入の唐突さと衝撃が伝わる。凛太郎の手を払いのける→即ち凛太郎(千鳥)の拒絶
「夏祭りが来たら土岐先生に出くわすだろうな」と思っていたら案の定。
去年とは別の夏祭り、というよりは花火大会だった。
凛太郎の思い出が風化していくのは、薫子との忘れられない思い出がいっぱい増えたから。→いつまでも松笠さんの事故の事が残り続けている土岐先生との対比


「発覚」23P
花火バックを「あなたは黙っていなさい」と言っている土岐先生のアップにしている→その前の薫子からのキスシーンとの対比
話を聞かない→薫子に聞く、という名の千鳥と話す余地がない様。手段と目的が逆転した凝り固まった気持ち。
みんなにすぐに共有する凛太郎→最初とは違う交友の広がり。凛太郎と薫子の問題の、桔梗生徒としての責任を昴とまどかも持つ(他人のふりはしない)


「助け」20P
何も言わずに校長、教務主任、学年主任の5者面談に持って行く土岐先生→明日改めて、にしては重過ぎる。相当視野が狭くなっている。
薫子が亜由美たちに見つかった時と違って、きちんと助けてほしいと5人に言う所に成長が見える。自分の中だけにとどめていない。
凛太郎と薫子共に「お互いがいる」と抱きしめ合う所に、カップリングとしての相互関係が見える。
からの土岐先生の「桔梗女子を辞めたら如何ですか?」の落差。

この「言葉」(「薫る花」における「言葉」は相手ではなく自分に矛先が向く物)の意味は、という、松笠さんのような生徒が現れないようにしていた事が、エスカレートして「千鳥に関わる桔梗生徒はいてはならない→桔梗の人間としていらない」と考え方が変わって、手段と目的が逆転していた土岐先生の脆さが出た言葉となる。
土岐先生は、超がつくほどの真面目過ぎる故に、「(たとえ自分が悪くなくとも、それが自分の責任と追求されたら)自分が全てにおいて責任を取らなくてはいけない」と思って、生徒を守るための「棘」を出し続けた結果、薫子を松笠さんと同じ道を辿らせようとしてしまい(3年生での途中転校)、形としては「真面目な人が闇墜ちした結果」(=千鳥にだけ向けていた棘を薫子に向けてしまった)になってしまった。
先に書くが、薫子が土岐先生を優しいと知っていたからこそからこそ「悲しかった」と後に語っていたのは「無関心だと悲しいという感情が湧かない」、という薫子の気持ちの表れ。(あの千鳥生徒との対比)
土岐先生は言ってしまった事への反省、でも薫子はその先の「土岐先生の本質」を見ていた。


「覚悟」19P
学年主任は「桔梗生、模範生としての立場」教務主任は「一度決めた事のなし崩し」を話していたので、「桔梗と千鳥の関係性」のレッテル故の世間体が出た形。
これも典型的なレッテルの案件なので今更ではあるけれども、それでも薫子から「それでも付き合う覚悟」が見られたなら、と黙認されようとしていた、所は学校上層部として大人な対応。
「別れません」も、凛太郎がいたからこその自分、という交流の広がりがみられるので、薫子の新たな強さ。
からの土岐先生の「辞めたら如何ですか?」なので、土岐先生の千鳥と関わる事の嫌悪が現れている。
傍から見たら土岐先生の私情全開。(校長以下3人も驚いていた)それはまどかと昴もキレる。
扉を背にしたまどかと昴の様子が最高に格好良い。正にカチコミ。


「衝突」24P
亜由美が校長室に入って行ったのは薫子に恩があるから。「憧れ」の時に、薫子に「劣等感故の罪悪感」を救ってもらった事がそのまま「恩」として表れている。

話のロジカルの流れとして、薫子から救ってもらった話数である昴における「大好き」、亜由美における「憧れ」があって、この後に土岐先生の「積み重ね」がある。
昴は「外見によるいじめという外的要因」亜由美は「兄弟が頭がいいからこその劣等感」によって、コンプレックスが生まれていた。それを緩和する矛先を千鳥に向けていた。という形。
でもそれが違うと分かって「後ろ盾」がなくなった所を、薫子による「自分の目で見たその人の本質的な良さ」言葉によって救われた、というのが昴にとっての「大好き」であり、亜由美にとっての「憧れ」。
土岐先生の場合は、それは外部から来るコンプレックスではなく「自罰的な部分によるもの」で拗らせてしまった。

なので、昴やまどかが「千鳥の偏見を否とする」姿に、自分のしてきた事が瓦解するのではないか、と恐れて感情的になる。正に「真面目な人間の闇墜ち」(視野が狭くなり、自分のしてきた事の否定要素があると違うと過度に違うと主張したくなる)
でもこれは薫子に向けられた土岐先生の「辞めたら如何ですか?」に感情的になって、語気を強めたまどかも同様。自分の責任だからこそ言い返さなきゃ、となる事で、土岐先生と同等になってしまっているのを示した形。
薫子の悲しくなった顔を見た時、の土岐先生のやり場のない怒り→また自分の弱さで、松笠さんの土岐と同じことを繰り返した事への、自分への怒り(自分が出していた「棘」を客観的に突き付けられたからこそ)


「仲間」18P
まどかが自分が花火の穴場を教えたから、と自罰的になっている姿。薫子がこうなったのを土岐先生のせいにしようとしていた、と他人に向けたからかもしれない、というのは過去の土岐先生と同様。
松笠さんにしてしまった事を自分の責任でもあるとしつつ、その棘の矛先を千鳥に向けたのが土岐先生そのものなので。
「花火、すっごく綺麗だった!」の薫子の「光」ぶり。土岐先生にはこの言葉のような「その人の行動を否定せずに肯定してくれた」をくれた人がいなかった(引き留めてくれた校長先生はいたけれども)。それを肯定してくれる人は…
マガポケコメント欄の塚田先生への信頼度。


「塚田先生」23P
千鳥が桔梗サイドに迷惑をかけている(今よりも確実に荒れていて、授業をする事もままならなかった頃)のを教師として見て見ぬふりしてきた事に自分で憤りを感じた塚田先生。
桔梗の友達の為に、千鳥4人が「行動ができた」所に意味を見出す。(例は、朔の「安全な所にいるのは違う」「普通に心配」という言葉。後者は「普通」ではないだろ感はあるけれども…)
これの「行動への称賛」に対しては、土岐先生に対しても…
本来は大人が学校間で話し合わなければいけなかった所を、することなく冷戦状態になってきて、更に壁ができた事で起こってしまったのが今回の騒動。それを「凛太郎たちに背負わせてしまった」事にある塚田先生のこれまでの事への「罪」
だからこその土岐先生への「行動」を電話を通じてする事になる。


「対面」20P
「薫る花」で大事な「対話」を塚田先生が図る。「対話」はすなわち「レッテル抜きで相手の本質を否が応でも知るための行動」
土岐先生が断ったのは「教師としての責任を果たす」ため。すなわち「嫌われても良いので桔梗に千鳥を近づけさせない」を全うしている。
一見すると真っ当な意見なのだが、これは「千鳥生徒が全員悪い」という事が前提にある言い方なので、「千鳥」という学校単位での認識はともかくとして「生徒」へのレッテルはどうしても抜けきっていないのが分かる。
塚田先生は「千鳥4人と会ってほしい」と話しているのに、土岐先生は「そもそも千鳥生徒に近づけさせたくないので」と断っている。これでは「対話」は成り立たない。(同じ土俵に立って初めて「対話」は成り立つので)
それを解消するための塚田先生の「怒りを覚える気にならない」という言葉。塚田先生サイドが桔梗側に降り立つ。


「同じ教師として」19P
塚田先生は「千鳥生徒が全員悪い」という、土岐先生の悪い認識ではなく、ちゃんと「生徒を守るための責任のある”行動”」に目が行っている所に凄みを感じる。桔梗だからと色眼鏡にならずに客観的に行動を見ている。
土岐先生が生徒達を愛しているのは本当。その為に「千鳥生徒に近づけないようにしている」と。さらには事故現場となった所にも、今でも足を運び続けている。責任感が強くなって、「千鳥生徒」に「棘」を向けているのも見ようによっては正しい。(「身の程をわきまえ、忘れないために」の所でループタイが映るのは、教師だった祖父から教わった信念の表れ?)
でも今やっている事は…と言いたくなる所を、塚田先生は自分が「行動してこなかった」事の「罪」との対比で、土岐先生の考えを肯定した。ここに客観性があり、「対話」している要素なのが分かる。
塚田先生の「気持ちの良い奴らなんですよ」は、昴に凛太郎の印象を聞いた時の薫子の返答「凄く優しい人…だったよ」と意味合いは同じ。


「気持ちのいいやつら」21P
塚田先生への共感は、塚田先生が話している生徒への思いが、自分と同じ考えであると「対話」の中で思ったから。
11年前の事故は薫子や凛太郎とは何も関係がない。だからこそ事故に縛られて歪な関係に千鳥と桔梗がなってしまったのは「大人の責任」
それは薫子を「悲しい顔」にさせてしまった土岐先生も感じている事。自分の過去から歪んでしまった「言葉」が「今(凛太郎と薫子)」を苦しめている。
「眩しそうに生徒の事を話す」塚田先生。ここの「眩しそうに」という言葉が、後に土岐先生が発して、この「土岐菖蒲編」のキーワードになる「眩い人」というフレーズに繋がる。
土岐先生が塚田先生の顔のように「眩しそうに生徒の事を話す」事ができなかったのは、生徒を愛す事が土岐先生の中で前提条件になっていて、「実は凄い事」と認識していないから。
千草先生が「贖罪」から教師になった中で、今生徒に対して笑顔で居られているのは、「贖罪だけではない、教師である事の意味」を見出したから。それこそ塚田先生と同じ。
「自分が変わるために」「この過去が今を苦しめている現状を変えるために」土岐先生も「対話」を了承している。やっと自分の「棘」と向き合う決心が出来た。だからこその土岐先生の名前である「菖蒲」がここで初登場した。


「いつも通り」18P
いつも通りの4人でいい。塚田先生から千鳥4人への信頼感。それは4人が「眩い人」に土岐先生にとってなっているから。
土岐先生を説得して「対話」に持ってきたからこそ、後は4人が良さを示すだけ、となる展開は少年漫画的な熱さがある。(というか少年漫画!)
絢斗も責任を凛太郎が感じないように試験勉強を頑張ると言った姿は、薫子の「花火、すっごく綺麗だった!」と別ベクトルだけれども本質は同じ言葉、というのが流石。上の「眩い人」の補強になっている。


「桔梗の校舎」21P
ピアスを外して桔梗に来る凛太郎。でもピアスを「持ってきていた」というのは、桔梗との会う上での礼儀というのが一番大きいけれども、
①それこそ「自分勝手」だった自分を客観視できた事を示す意味、②薫子からもらったものなので、その自分勝手な自分を変えてくれた薫子への存在を示す意味、という2つの意味合いもあったのではないか。
自然と「よろしくお願いします」と頭を下げられる翔平の真っすぐさ。ここで双方の緊張が良い意味で解けたのは流石。


「話し合い」22P
校長先生の「桔梗の、千鳥への態度の責任」の意味での同席。塚田先生が「4人の責任は自分がとる」と話していた事と同等。
この時点での校長先生のスタンスは「千鳥と桔梗の距離感はこのままでいる事が望ましい」
その上で、お互いのレッテルを外した上での「対話」を千鳥4人に求めてきたのだが…
それに対して4人がしたことが「千鳥と関わる事のリスクを客観的に見た上で、千鳥に所属する人間として見てもらって構わない」という事なのだから、観点が凄い。
確かにレッテルを取っ払った状態だと、「千鳥と桔梗の関係性」の話をしに来たのに、なあなあになってしまう。だからこそそれを防ぐための結論。
メタ的に見ると、ここでの凛太郎達のノルマは「11年前の事故を踏まえた上で、その当事者とは違う事を示す」だと思うのだが、この時点でもう達成している。
「対話」の定義である「レッテル抜きで相手の本質を否が応でも知るための行動」の「レッテル」を表面的な「千鳥と桔梗」の部分に置くのではなく、内面的な「人間的な良い悪い」の部分に見出している事を打算無しで提案しているのが凄い、という話。


「懇願」24P
自分の拠り所を守るために、金髪ピアスをいくら咎められようと直さなかった凛太郎の「自分勝手」さの話。
周りからはもちろんそうではない、と分かっていても、(僕自身も「自分勝手」の話が凛太郎から出た時には「中学生なんだから自分勝手になってしまうのはしょうがないじゃないかと思っていた)
世間一般の目線から見たら自分勝手になってしまう、というのを客観的に見ている所に凛太郎の凄さが見える。
この凛太郎の言う「自分勝手」の面は土岐先生も同じ。事故のせいでそうなってしまった、と分かるけれども、傍から見たらただの怖い人に見えるのはそうなので。
その価値観を変えて、外見とか関係なく真っすぐ見てくれたのが薫子で、そんな人が凛太郎の「外見」で周囲から悪く思われるかもしれない、と怖くなったからこそ、ためらいなく「拠り所を捨てる」事ができた。
それだけに「薫子さんが大切なんです」と。ここまで礼儀上「和栗さん」だったのが「薫子さん」になる所に、凛太郎の薫子が与えてくれた影響の強さが見える。

とはいえ、これだけでは「千鳥と桔梗の関係性の中でのただのイレギュラー」にしかならない。(絢斗の言う所の「運が良かった」)だからこそ「信頼」ではなく「期待」をしてほしいと。
信頼は「千鳥としてきた行動の積み重ね」から来るもの。それを「距離を置くべき」とする校長先生の前でこれ以上で示すことができないので、その前段階の「期待」をしてほしいと願う。期待をしてくれないと振り向いてくれる余地すらないから。(これは即ち「無関心」と状況としては同じ)
相手の意図を汲みながら、自分の意見も嫌味なく主張する凛太郎の完璧なやり方。これが打算でないのが凄い所。
「取り返しのつかないことが起きた時、本当にその生徒の為にできることはないに等しい」この土岐先生の言葉を、「そうではない」と言えたのは松笠さん、つまりは千草先生しかいなかったのはそう。


「土岐菖蒲」28P
「花は特徴も違うけれども、毎日見て環境を整えて上げたら綺麗に咲いてくれる」土岐先生の祖父の言葉。その気持ちがループタイに込められている。
この気持ちが歪んだ形でも残っていたからこその、まだこの対話の時点ではループタイがあった。
「表に出るのが苦手な私でも、誰かの人生を支えられるような生き方をしたい」土岐先生が教師を志した理由。その思いを受け取った千草先生は今…
松笠さんは「眩い人」だからこそ、その松笠さんを信頼して塩見君との花火大会に送り出した。
これが松笠さんへの土岐先生が考える「間違い」だったというのは、客観的に見ると「否」となるのは一目瞭然。ここでの土岐先生は何も悪くない。千鳥生徒の介入等は理不尽なイレギュラーでしかなかったから。
でもそれを「理不尽が起こる事を想定せずに、環境を整えて上げられなかった自分の責任」と思ってしまった事が、「棘」ができてしまった全ての始まり…真面目過ぎる。


「悔恨」29P
松笠さんの父親は松笠さんを「自分の所有物」としてしか見ないタイプの毒親。(一連の訴えは、「娘を心配している自分に酔っている」ようにしか見えない)だからこそ松笠さんが成人したタイミングで離婚して、松笠さんが母親サイドについた理由付けになっている。
ここで上手いのが、霊の千鳥生徒の感情が「桔梗を馬鹿にする」ではなく「無関心」という所。
土岐先生と松笠さんがあれだけの目に遭っているのに「無関心」なのだから、土岐先生が絶望するのもそう。「好意の反対は無関心」とは言ったもので。(無関心は、1話の凛太郎の冒頭のモノローグである「俺には一生関係ない世界だ」もそうなので、そこも含めて皮肉にしている)
ただ例の千鳥生徒と同じように「(千鳥生徒は)私達とは違う”生き物”だ」とひとくくりにしてしまった所は、そのまま今の土岐先生のブーメランになっている辺りに皮肉が見える。

踏みにじられる可能性、つまりは理不尽さに立ち向かうための「嫌われても良いので桔梗に千鳥を近づけさせない」という「棘」を生み出した、という意味では、最初の時点では千鳥への対応として正当な部分はあったはずなのに…
「だからせめてあなたがその時止めてくれさえすれば」なんて、あの父親が言っていた結果論でしかないのに、自分に責任を全て自分で被せてしまったからこその悲劇。
見舞いの為の雨に濡れた花は、この後の話で千草先生が「土岐先生が松笠さんにしてあげた事」を踏まえて教師として成長した姿として、拾ってくれた事に意味がある。
「取り返しのつかないことが起きた時、本当にその生徒の為にできることはないに等しい」の答えは「今は実らなくても、未来で輝く時がきっとくる」という事。


「信頼と覚悟」26P
土岐先生が頭を下げてくれた様は、土岐先生が塚田先生の凛太郎たち4人への「信頼と覚悟」を見た上で、実際対面して「眩い人」と思ったからこそ、凛太郎たちに「期待する」ことにした姿、ともいえる。
それは横並びになっている、修学旅行の着付けした薫子たちを見た土岐先生の優しい表情とも合致する。薫子達を「眩い人達」と認識していたからこそ。
その「信頼と覚悟」を見て、責任を持って「期待」する事にした校長先生の見立ても良かった所。元日更新で、「明けましておめでとう」の直後でのこれだったので「やっとここまで来た…」と感慨深くなったもの。


「礎」28P
土岐先生や校長先生の責任や期待を見たからこそ、塚田先生は「些細な事でも大人を混ぜて欲しい」と思った。
「取り返しのつくことならいくらでもやることはある」からこそ塚田先生自身も能動的に行動する。これは塚田先生自身の「贖罪」でもある、と自分事の意味も含ませた言葉にした事が、上手く綺麗事ではない形になっていた。
そして塚田先生の「『信頼』という名の道を作ってほしい」という言葉。これは前にも書いた通り「期待してもらった上で見せる『千鳥としてきた行動の積み重ね』から来るもの」なので、凛太郎達もそうしてほしいし、自分もそうする、と。ロジカルとしての説得力があった。
からの、夏祭りの時以来の凛太郎と薫子の再会での、薫子のジャンプハグ。やっとこさ千鳥と桔梗の関係性が肯定されてからのこれなので、本当に「映画みたい」だった。


「ありがとう」24P
原作のPVにも使われていた言葉。相手を思いやる言葉。
千鳥と桔梗で、一緒に居られる環境が作られた事への喜び。
昴の「皆の写真たくさん撮りたいの」は77話「ただ楽しく」での昴の様子からも分かる。まどかの凛太郎と薫子に対しての「ずっとハグしていて」もそう。朗らかな空間が作り出されていた。
それでも公園での事を、土岐先生から頭を下げられた凛太郎の複雑な気持ち…完全に棘が取れたからこその土岐先生の行動。生徒に対して深々と頭を下げて謝罪する姿は相当凄い事だと思うのだが…


「贖罪」23P
大人は「いかに相手の立場を思いやりながら行動できるか」これを千鳥4人は「桔梗の立場」を見ながら「期待」という形で桔梗サイドに譲歩してくれた、と校長先生は解釈したからこその「ずっと大人だった」と千鳥4人を定義した。
千鳥の人間として見てもらって構わない、という言葉は、桔梗サイドを下げない意味合いもあった。
からの桔梗サイドから千鳥サイドへの「侮蔑」は、土岐先生の「棘」が発端となって、桔梗生徒を「大人」でなくしていた事を意味していた。それがそのままタイトルの「贖罪」に繋がる。(それに気づかなかった事まで…)
でもそれは校長先生の言う通り「環境を整えて上げられなかった(寧ろその逆の事をしていた)事の責任」として「土岐先生が学校を辞める」事ではない。そうなってしまった後が大事になってくる。


「報告」20P
仏壇の前でループタイを外す土岐先生。自分に教師として未来を生きる資格がないと言っているような物。
土岐先生と桔梗6人の対面の中で、亜由美達は「贖罪」という形で「赦されたい」のではなく「これからの事」を話そうとしている。
これは「侮蔑」してしまったからこそ、(土岐先生の場合はその環境を作ってしまったからこそ)「未来で何ができるか」(ここでの未来は「信頼という名の道を作る」事)を深く考える事を意味している。ある意味「土岐先生が目指すべき道」でもある。


「これからのこと」20P
自分達は「侮蔑の環境」を自分の都合の良いように使っていたと。ある種凛太郎の「自分勝手」と同じ。これは劣等感を感じていた亜由美だからこそ言える事。
その過ちに気づいた時の苦しさを他の人に味わってほしくない昴の気持ちも、外的要因で侮蔑に走った事があるからこその説得力がある。
その上で「現状を変えていきたい」という凛太郎達と同じ結論に達する所に、土岐先生は桔梗6人を「眩い人」と見出したからこその笑顔。そこに自分はいない事が前提にあるのも含めて…


「好きなところ」19P
薫子に謝る所は見開き。これを設けてくれた事は、ヘイト管理の意味でも大きかった。
責任を取っていなくなることを決意しているからこその土岐先生の「言い訳をしない姿」
真面目ではあるのだけれども、それを背負い込み過ぎている。「言い訳くらいしてほしい」と薫子が話していたのは、それを感じていたからこそ。(少しくらい土岐先生が苦しまない逃げ道を作っても良いという配慮)
辞めそうになっているのを見越した上での、土岐先生へのある種「自己肯定感を上げる」行動を薫子が取っているのが今回と次回。自分に厳しいネガティブな面が出てしまっているからこそ、土岐先生自身の自己肯定感が薄くなっている。


「積み重ね」25P
土岐先生バージョンの「大好き」「憧れ」。特に周りからのレッテル的な評価を聞いている、というシチュエーションから始まる辺りは「憧れ」と、恐らくわざと話の導入部分を同じにしている。
バイトの件や毛布をかけてくれた件を通じて、土岐先生が自罰的になっている事を「どうでもいい」と語気を強めた上で「薫子が見てきた土岐先生を信じる」流れにしたのは、流石は薫子の「他人の本質を見る力」だなと。
土岐先生バージョンの「大好き」「憧れ」「薫る花」全体の流れとしてはあると思っていたが、ここまで語気を強めた言い方をしつつ、かつそれまでは明るく振る舞っていた薫子の表面上の強さが見えた形は凄い。(ある種「大嫌い/大好き」での井上ほの花さんの「ちょっとだけ、遊んで行かない?」での少し声のトーンが上がっている演技と、明るく振る舞っている姿は被っていると思った)
それでも「乗り越えてゆけます」と辞める姿勢を変えなかったのは、土岐先生なりの最後のけじめだったのかもしれない。「贖罪」故の「覚悟」の道が違う。


「分け合う」22P
薫子と凛太郎の相互関係がカップルとして完璧すぎる。薫子の土岐先生がやめてしまうかもしれない、という様を表情で見抜き、今できる事をしようと抱きしめる方向に行く。ここまで理想のカップルが他にいるだろうか(いやいない)


「大人になったら」24P
自分の誕生日の更新回で「大人はいっぱい悩むしいっぱい間違える」なんて、大人周りの話が出てくるとは…
土岐先生が辞める理由は、自分の行動が生徒を信じ切れずに邪魔するものだと思ったから。自分に厳しいからこそ、生徒主体の環境を作る事ができなかった事を悔いている。
それは、塚田先生の素直さとの相対比較もあったと思う。
肝心なところで間違える自分と違って、と考えているのは、自分に厳しすぎる故にその「棘」を自分に向けてしまっている所からも見える気がする。
この話で土岐先生が発している「覚悟と責任」というのは、土岐先生の中では自罰的な要素として使われている。だからこそそこまで重く受け止めなくていい、という意味で塚田先生は「大人はいっぱい悩むしいっぱい間違える」という言葉を使ったのかもしれない。

土岐先生への塚田先生の評価は「真面目で責任感があって良い人で、見返りもなく他者を愛せる優しい人」
棘を取っ払うとこんなにも優しい側面が出てくることに、実は気づいていないのは土岐先生自身。
そこで千草先生になるわけだが…三香見先生が千草先生初登場時からこうする想定ではなかったはず。
でも「彼女できたのか?」と修学旅行回周りでの辺りから少しずつ意識していたように思う。


「当事者」26P
ここで千草先生が松笠さんだった事にご都合、と思う人はいるかもしれないが、ご都合でも良いから報われてほしい、と読者に思わせる作品は名作だと思うし、「薫る花」もその類の作品になったということだし、
千草先生が自らの意思で千鳥に行く事を決意したわけなので、その意思は決してご都合ではない。
千草先生自体は塩見君と土岐先生に自分のせいで迷惑をかけたからこそ、自分が「千鳥の環境を整えなくては」と思っていたのは、「環境を整える」という言葉からして、奇しくも土岐先生の信念と同じ考えに至っているのが面白い。
でも「3年のスポ大」で球技大会でのピザを期待している生徒の様子を見た時に、経費云々の気持ちが「まぁいっか」って千草先生が思った事からも分かるように、贖罪以上に教師としてのやりがいを感じている所に、土岐先生のしてきた事の救いが見えた。

「会うべき」と当事者同士の垣根を超えて、「『対話』をすべき」と同等の言葉を発した塚田先生の人格者たるや。
余談だが、「これだけ近かったら会ってたんじゃないの?」については、土岐先生が恐らく学校に早く来て遅く帰っていただろう(前者はともかく、後者は前回の話で見えた)事からして、千草先生の出退勤と被る機会が少なかったのはあると思うし、
辞めていると思い込んでいたら、街中や帰り道でそう認識できるものではない。


「再会」24P
千草先生と会う事を事情を問う事無くそのまま受け入れてしまった土岐先生。その気持ちが千草先生への答え。
薫子の「傷つく覚悟で恐怖等と向き合う」という、信念を持った解答に「眩い人」と感じた。
千草先生と土岐先生、会うまでは謝らなきゃ、や、会う資格がない等色々双方で考えが渦巻いているけれども、
いざ会うとその理屈の部分を抜きにして「再会できた事の気持ち」が爆発して思いっきり抱きしめ合う様が素晴らしかった。何だかんだで理屈も大事だけれども、人間最後は「感情」で動いてほしい


「綴る」24P
姿としては結構変わっていても、すぐに千草先生を松笠さんと気づいた土岐先生。
千草先生自身が教えてくれた、花火大会に向けて押し出してくれた事は「私の気持ちを汲んで肯定してくれた」と「楽しんでと言ってくれた事が嬉しかった」というのは、
この行動をした土岐先生の「松笠さんを信じる気持ち」を、千草先生はきちんと受け取っていたという証拠。
「土岐先生が私を支えてくれてるんです」土岐先生が何よりも無意識的に欲しかった言葉。
雨に濡れた花束をもらって笑顔で千草先生の姿でピースしてくれる様もまた、土岐先生が欲しかったもの。
「私のことを背負って頑張り続けてくれてありがとう」土岐先生の「責任と覚悟」が報われた瞬間。
そして千草先生が「松笠さん」として言った「前だけを向いて歩いて、たくさんたくさん笑ってね」という言葉が、土岐先生が薫子や凛太郎たちに向けていた「眩い人」の正体。


「光の差す方へ」26P
ループタイをつけての授業をする土岐先生の姿。桔梗での自分の立ち位置をやっとここで肯定的に示す事ができた。
千鳥の文化祭で1つ千鳥と桔梗の関係を進展させるかと思ったら、流石にそうはしなかった所にリアルさを感じる。ここから始めて行けばいい。

カーテンをあけての対面シーンで、桔梗が6人に対して千鳥が4人だと絵的にバランスが悪くないか?と思ったら、千鳥サイドに塚田先生と千草先生を加える事でバランスを整えたのは上手かったと思う。
そして再会時にはあくまでも教師と生徒の関係だった土岐先生と千草先生の関係性が、窓越しでの対面を果たす事で「千鳥と桔梗の教師同士の対面」という形を再度作り、ここから「信頼という道を作る」過程が始まっていく前向きな気持ちが見えた事を意味していた。

「また間違えるかもしれないけど、また苦しむかもしれないけれど、でも、それでも、きっと光の差す方へ繋がっているのだと。そう信じたい」
「だから私はこれからも、ここで力を尽くそう」「それが今の私のやりたいこと」

「これから"も"」という言葉は、自分の桔梗でしてきた事をやっと肯定できた事を示している。
そして、カーテンをあけた先の景色を「まぶしい」と評していた所に、土岐先生も薫子に連れられてその場に行く事で、土岐先生も「眩い人」になることができた、という綺麗な締め。

ーーーー「土岐菖蒲編」は「土岐菖蒲が、憧れていた「眩い人」になるまでの物語」であるーーーー



2.「薫る花」今後について


直近の展開予想…①凛薫のデート。亜由美達との一件の後の話「久々のデート」がそうだったので。(前の長期休載の時には「皆でカラオケ」なので、そういう友達間のワチャワチャした話でもあり)
②まどかと千草先生の再会。凛薫のデートの中で取り上げられる可能性もあるけれども、ここからまどかのドラマに移行できないか。

凛薫…ある種サブに近くなるのではないか。最早障壁などないし(なんならそれぞれの両親に会っている)、凛太郎の就職が決まった今、ここで薫子が医学部に不合格になる未来が全く見えないので。恋人としてのスキンシップも、キスまで行ったら次はB以降になるけれども、まあこの漫画ではそれはない。
強いて言うならば、良い意味で現時点でフックにならない「凛太郎から初対面の時に言われた事が明かされる」くらい。それ以外は糖分摂取の意味合い。後は合格後の凛太郎のお祝いケーキ

朔昴…恐らくしばらくのメインになるのでは。(休載告知の時に昴の絵を描いていたということは…?今後に期待してくださいのコメント、サブカップルは出して1組、という話も)
学校メインの話が終わったら、後は全員の進路が決まる事が主軸になるだろうから、そうなると朔昴の「T大受験」は1番の山場になる。
(ちなみに他の面々は絢斗は試験終了、翔平の短大はサラッとやるだろうし、まどかは取り敢えず大学(ゲーム配信やるとも言ってたな…アグレッシブな…)、亜由美もワンランク上の大学とドラマになる程ではない。これは千紗の音楽学校、すずかの美大の建築関係も同様。まあこの2人の難易度結構高そうだよなとは思うけれども…)
なのでそこで進路の縦軸を示しながら、昴の朔への気持ちが明確になっていくのを示すのが良さそう。朔が「言わない」と決断している今、昴目線になる。飛鷹が絡めば尚良し。

まどか、亜由美、すずか、千紗の掘り下げ…そういえばまどかの話をしていなかったな、と思ったので、千草先生との再会の時にやるのではないか。
他3人がガッツリ絡む機会は、進路があらかた決まった後にはなると思うけれども(10人は学校間の問題が緩和しても流石に人数が多い…)、掘り下げが少しあると嬉しい。
進路が全員決まったら是非とも卒業旅行を。

教師間の話し合い…千鳥の校長が千草先生についてどう思っているのかは聞きたい。(履歴書で松笠さんの出自は知っているはずなので)
後は桔梗と千鳥の校長対面、少しずつでも関係性が取れる様をグラデーション良く描ければ良いのではないか。


三香見先生の別作業について…①ファンブック。学校間の話に一区切りついたので、このタイミングで出してもいいのではないか。三香見先生は監修、コメント、新規漫画等?
②実写化の話がそろそろ?結論は出たので映画にしろドラマにしろ、エンドマークを付ける事は可能。キャストは昴だけが結構な難易度。170㎝オーバーでポニーテールの銀髪が似合う人って…(凛太郎は何とかなりそう)
勿論、アニメ2期に向けての作業でも良し。