さて、今回はターボレンジャーの感想メモを載せていきたいと思います。
それでは続きからどうぞ。
それでは続きからどうぞ。
第10話「鬼を呼ぶ五月人形」
脚本:藤井邦夫/監督:東條昭平
クロを助ける為に鈴を鳴らし続けた大介の姿は、さながら金太郎のようだったという落とし所で。
という、結構藤井さんお得意の「一般人が頑張る」話だったが、金太郎と組み合わせる為にオニボーマを出現させて大介の友達であり馬のクロを操る事で危機的状況に陥らせて、その思い出でクロを正気に戻す事に成功したのは、これはターボレンジャーは良いアシストをしたなと。
というより洋平がこの前のリサの件といい人情派な部分を見せて大介を励ましたからこそできた事だと思うので、これも一つの「継承」なんだろうなと。大人からターボレンジャーに、ターボレンジャーからその更に下の子供に、という感じで。
クロという馬をキーにしていたという動物の使い方も面白いと思った次第。きっちりそれなりの演技をしていたのもポイントか。
オニボーマに関しては金銀財宝をラゴーンに献上していたという経歴を持っていながら、その金銀財宝のみを見て少し宝石をちょろまかしていたズルテンのコメディぶりが、あくまでもシリアスに徹するジンバとの対比になっていたのが面白い所。まあ愉快犯と愛を恨んで金にドライというのでは全然立ち位置が違うのでね…
第11話「爆発!ウーラー街道!」
脚本:曽田博久/監督:東條昭平
母親を思っての子供の行動と、その母親の愛を受け取った時の喜びを知った子供への変化…
友達にお母さんからのお弁当がないとバカにされていながら、病弱でお弁当を作るのですら精一杯だった母親の為に、無理をしないように言う子供の健気さは最初に痛い程見えた気がする。
でも母親としては病弱故に何もできなかったからと、力にお弁当を届けてもらうように言う辺りから、前回書いた「大人からターボレンジャーに、ターボレンジャーから子供に」の構図は成立していたと思う。
実際力がお弁当を届けた事で子供は元気になっていたし、大岩も力と一緒に退かすことが出来ていたので、やはりわがままは言ってはダメでも母親からの愛を素直に受け取る事は子供にとっても良い栄養になるな、と思った次第。
対して、この子供のピクニック時の騒動は、戦闘員であるウーラー一族が封印されていたウーラー街道で起こった事で、それの指揮を取っていたウーラーボーマが壊滅されたら、今度はウーラー一族がウーラーボーマの仇を取ろうと動いていた、というのを見ると、明らかに暴魔百族が悪くとも勧善懲悪を貫き通しているわけではないのが見えて面白い。
ウーラーは一人一人が弱くとも多く集まると強くなる、というのは戦隊文脈の味方部分の要素を敵に置き換えても何とかなる、という見方も出来るし。(戦闘ギミックとしても厄介というのもまた良い所)
こういう勧善懲悪とは言い切れない反転要素をちょこちょこ設けていたからこそ、流れ暴魔の話にシフトできたのだろう、と考えるとそれはそれで面白いなとは思った。
第12話「星になった暴魔獣」
脚本藤井邦夫:/監督:新井清
ラキアを慕っていた暴魔獣のアラクレボーマの男気…力もそれに応じて男気を見せていたのが良かったと思う。
その前に同じ曽田さんが力の「継承」の部分を見せたら、藤井さんはその男気の部分をアラクレボーマに同じラキアと接したものとして、変身して戦うことなく、他の4人の手も借りる事なく1人でアラクレボーマに向き合うという形で示した辺りは、ラキアが「自分に立ち向かってきたものに悪いようにはしない」「お前を信じている」と言っていた格好良さに通じる物を示すことが出来たと思う。
ラキアの人(?)となりは本編中であまり知らされてなかったので、そこを取り上げた藤井さんの着眼点はサブライターとして優れていたとも思うので。結局ズルテンとラゴーンの思うがままに巨大化させられてしまったわけだけれども、「ラキアの気持ちを分かってくれた暴魔獣がいた」というだけでも、かなり暴魔百族の人となりのようなものが見えた気がする。
実際、ラゴーンにすら歯向かおうとしたアラクレボーマを、相討ちでターボレンジャーを倒す為に封印から解いたズルテンに対して、他幹部はかなり否定的だったし。ラゴーン的にはそれでターボレンジャーが倒れるなら良い、という懐の大きさ+不甲斐無さの恥を知れ、というスタンスだったので、自身の強さには自信があるんだろうなとは思ったけれども。
脚本:藤井邦夫/監督:東條昭平
クロを助ける為に鈴を鳴らし続けた大介の姿は、さながら金太郎のようだったという落とし所で。
という、結構藤井さんお得意の「一般人が頑張る」話だったが、金太郎と組み合わせる為にオニボーマを出現させて大介の友達であり馬のクロを操る事で危機的状況に陥らせて、その思い出でクロを正気に戻す事に成功したのは、これはターボレンジャーは良いアシストをしたなと。
というより洋平がこの前のリサの件といい人情派な部分を見せて大介を励ましたからこそできた事だと思うので、これも一つの「継承」なんだろうなと。大人からターボレンジャーに、ターボレンジャーからその更に下の子供に、という感じで。
クロという馬をキーにしていたという動物の使い方も面白いと思った次第。きっちりそれなりの演技をしていたのもポイントか。
オニボーマに関しては金銀財宝をラゴーンに献上していたという経歴を持っていながら、その金銀財宝のみを見て少し宝石をちょろまかしていたズルテンのコメディぶりが、あくまでもシリアスに徹するジンバとの対比になっていたのが面白い所。まあ愉快犯と愛を恨んで金にドライというのでは全然立ち位置が違うのでね…
第11話「爆発!ウーラー街道!」
脚本:曽田博久/監督:東條昭平
母親を思っての子供の行動と、その母親の愛を受け取った時の喜びを知った子供への変化…
友達にお母さんからのお弁当がないとバカにされていながら、病弱でお弁当を作るのですら精一杯だった母親の為に、無理をしないように言う子供の健気さは最初に痛い程見えた気がする。
でも母親としては病弱故に何もできなかったからと、力にお弁当を届けてもらうように言う辺りから、前回書いた「大人からターボレンジャーに、ターボレンジャーから子供に」の構図は成立していたと思う。
実際力がお弁当を届けた事で子供は元気になっていたし、大岩も力と一緒に退かすことが出来ていたので、やはりわがままは言ってはダメでも母親からの愛を素直に受け取る事は子供にとっても良い栄養になるな、と思った次第。
対して、この子供のピクニック時の騒動は、戦闘員であるウーラー一族が封印されていたウーラー街道で起こった事で、それの指揮を取っていたウーラーボーマが壊滅されたら、今度はウーラー一族がウーラーボーマの仇を取ろうと動いていた、というのを見ると、明らかに暴魔百族が悪くとも勧善懲悪を貫き通しているわけではないのが見えて面白い。
ウーラーは一人一人が弱くとも多く集まると強くなる、というのは戦隊文脈の味方部分の要素を敵に置き換えても何とかなる、という見方も出来るし。(戦闘ギミックとしても厄介というのもまた良い所)
こういう勧善懲悪とは言い切れない反転要素をちょこちょこ設けていたからこそ、流れ暴魔の話にシフトできたのだろう、と考えるとそれはそれで面白いなとは思った。
第12話「星になった暴魔獣」
脚本藤井邦夫:/監督:新井清
ラキアを慕っていた暴魔獣のアラクレボーマの男気…力もそれに応じて男気を見せていたのが良かったと思う。
その前に同じ曽田さんが力の「継承」の部分を見せたら、藤井さんはその男気の部分をアラクレボーマに同じラキアと接したものとして、変身して戦うことなく、他の4人の手も借りる事なく1人でアラクレボーマに向き合うという形で示した辺りは、ラキアが「自分に立ち向かってきたものに悪いようにはしない」「お前を信じている」と言っていた格好良さに通じる物を示すことが出来たと思う。
ラキアの人(?)となりは本編中であまり知らされてなかったので、そこを取り上げた藤井さんの着眼点はサブライターとして優れていたとも思うので。結局ズルテンとラゴーンの思うがままに巨大化させられてしまったわけだけれども、「ラキアの気持ちを分かってくれた暴魔獣がいた」というだけでも、かなり暴魔百族の人となりのようなものが見えた気がする。
実際、ラゴーンにすら歯向かおうとしたアラクレボーマを、相討ちでターボレンジャーを倒す為に封印から解いたズルテンに対して、他幹部はかなり否定的だったし。ラゴーン的にはそれでターボレンジャーが倒れるなら良い、という懐の大きさ+不甲斐無さの恥を知れ、というスタンスだったので、自身の強さには自信があるんだろうなとは思ったけれども。
