さて、今回はターボレンジャーの感想メモを載せていきたいと思います。
それでは続きからどうぞ。

第37話「カンフー謎少女」
脚本:曽田博久/監督:長石多可男

ファイブマンの前からこれだけ動けたら、それは早瀬さんは重宝されただろうなぁ…

という、ターボレンジャーの正体も知って、一瞬でもシーロンの姿を見る事ができた、という点からして、間違いなくファイブマンへの出演が決まってからの収録だったからだろうというのが感じられた今回だが、素面でほぼ吹き替えなしであそこまで動けるのは普通に凄いんだよな…カンフー留学に香港に行っているというのも納得の動きぶりだったと思う。
終盤のファイブマンではスーツアクターも兼任していたタイミングがあった(多分書き方的に最終回恒例の分だけではないだろう)のも納得。

話としても山口先生と美香の姉妹の思い出で、山口先生がロボ化から戻ったという意味では、シーロンとの絡みも含めて原点回帰をしたような話になっていたと思う。妖精設定も大分形骸化していたと思うので…
その前の回が一生交わらない思い出の話だっただけに、姉思いの妹のムーブとしては十分だったと思う。生徒を信じようとしても流れ暴魔の2人、ターボレンジャーの5人は最早どうにもならないところはあったので…


第38話「人を喰う地獄絵」
脚本:渡辺麻実/監督:蓑輪雅夫

エネルギー切れの象徴としていた白いターボレンジャーの姿を逆手に取るとは、これは渡辺さんなりの良いアイデアだなと思わされた。

白くなったらどうにもならない、というイメージを2回も見ているからこそ、それが逆に役に立ったという事のカタルシスが凄いというもので。
そしてある種「尻拭い」という点もターボレンジャーのベースに合っていて、俊介がジゴクエボーマの封印を解いてしまった為に絵の中で色を抜かれる、という事になってしまったのでそのために行動する、というのを改めて示したのは良かったと思う。

しかも白の彫刻をジゴクエボーマの絵の状態でぶつけた事で「白は全ての色の源だからこそそこに弱点がある」と額に白ができて攻撃が当たった、というのもアイデア賞としてピッタリ合っていたと思う。改めて暴魔は「緑の血」というのも示していたし。
まあそれでも、「ラゴーンのやり方ではダメという事が証明された。今こそラゴーンを越える時だ」というような事をヤミマルが話していても、貢献度的には良くも悪くも同じだから、自分のやっている事と周りから全力で目を背けているようにしか見えないのがなんともな…同じ穴の狢になった所で何の意味もないというのを分かっていない、とでも言おうか。


第39話「ラゴーンの最後」
脚本:曽田博久/監督:蓑輪雅夫

何というか…ここまで感慨のないスーパーターボビルダーの登場の仕方があるんだな…と思った話だった。

開始2,3分でいきなり力とラゴーンが対面したかと思えば、命石の中で意思が残り続けるとはいえ実体のラゴーンは一旦は倒される形となり、その漁夫の利で流れ暴魔2人が支配する事になるというのは(20分枠でしょうがないとはいえ)展開が速すぎて何だかなぁ、なんて思った次第。
命石の設定に関しては恒例の唐突さはあれど、その力を自由にラゴーンは動かして巨大化まで果たした時点で、流れ暴魔2人が支配した所でラゴーンにひっくり返されるのが容易に想像できるというもので。その愚かさみたいなものを後々強調させるためにこんなにあっさり玉座を奪わせた、というのはある気がする。

力のレッドとしての剣劇は流石なものがあったにしても、動かない状態のラゴーンの倒され方は呆気なかったし、ターボビルダーとの組み合わせも何の気無しに普通に行われたので、全体的な作劇のドラマ性で言ったらほぼ作業に近いレベルだったのでは、とは思う。
まあヤミマルとキリカの関係性とシチュエーションが、別にそんな事してないけれども「駆け落ち」に近くなってるのは、多分曽田さんのロジカルの一つになってそうな気はする。「人間と暴魔の2つの血を継いでいる我々こそが世界を支配するにふさわしい」というのは一種の方便だとも思うし。